海外営業物語!買収と転籍の狭間で(2)

駐在員、ケンイチ22

労働組合員

日経新聞に掲載された三者合併の記事を読んだ俺は、途方に暮れていた。日本重工株式会社の産業機械部門は昨年秋に分社化され、厳密には重工産業株式会社と言う別会社になっている。この別会社の株式は日本重工が100%保有しており、完全子会社と言う位置づけだ。

会社自体は別会社となったが、日々の業務は特に以前と変化が無く、俺や千歳を含め、従業員は今まで通りの仕事を、今まで通りこなしていた。

人事面では、元々日本重工株式会社の管理職だった人員は、全員別会社へ強制転籍となった。会社側の人間として労働組合に属さない管理職以上の人間には、別会社への転籍を断ると言う選択肢は無かった。転籍を拒否しても、会社をクビになって無職になるだけだからだ。

一方、末端の従業員は労働組合を窓口として日本重工の人事部と交渉し、結果として日本重工のステータスをキープする事に成功した。身分は日本重工の社員を保ったまま、別会社へ出向している形となったのだ。

結果として、俺達は人事面、給与面、福利厚生面で日本重工の社員と同じ扱いを受ける事が出来ていた。組合員としては不幸中の幸いであり、俺たちは一旦身分が保証された事にほっと一息をついていた。

「このまま買収や合併の話さえなければ、いつまでも日本重工本体の社員と同じ待遇を受けられる。」

一般従業員の誰もが心の底でそう考えていた。ところが、突如として今回の三社合併の話が持ち上がり、不安は現実となった。「これから自分達はどうなるのか?」自分達の将来に暗雲が立ち込め始めたのである。

俺は「合併」や「分社化」、「転籍」をキーワードにして、インターネット上で様々な角度から検索をかけた。自分と似た境遇を過去に体験した人が、ブログでその行く末を情報発信しているのではないかと考えたのである。

しかし、幾らネット上を検索をしても俺が求める情報は一向に見つからない。冷静に考えるとこれは当然の話で、世の中で合併や買収に巻き込まれる人は、それ程多くない。また、仮にその様な体験をした人がいたとしても、自分の人生の大転換期にブログを書く余裕は無いだろう。

「なるようにしかならないのか。」

インターネットで情報を探しても何も見つからないと悟った俺は、諦める様に呟いた。自分の無力さを痛感するとは、正にこの事だろう。俺に出来ることは、ただ運命を受け入れて待つのみである。

苦しい時に愚痴を言い合える同僚がいればまだ心強いが、駐在員の俺はアメリカでただ一人の組合員だ。同じ境遇の人は誰もいない。

「もし日本にいたら、今頃千歳や他の同期と積極的に情報交換してるだろうに。」

海外駐在中にこの様な事件に巻き込まれるとは、俺の運は相当悪いらしい。やり場のない怒りは、いつの間にか諦めに変わっていた。

アメリカ法人内での情報展開

翌日の月曜日、俺はいつも通りのルーティーンを繰り返していた。同じ時間に出社し、メールをチェックし、新車開発プロジェクトの資料準備を行う。いつも通りの日常業務を淡々とこなしていた。

俺は内心、技術部長で日本人出向者の市田さんが三社合併の情報を俺に正式展開してくれるかもしれないと期待していた。俺はこの話を千歳から聞いただけで、正式に情報展開を受けた訳ではない。日本で全従業員に展開された情報なのだから、俺にも1日遅れで連絡が来てもおかしくない。

しかし、月曜朝一の様子を見るに、市田さんからの正式展開は無いようだ。俺は千歳との会話を思い出した。日本での説明会は、マスコミへのリークに対抗するために無理やり行ったものだ。情報の整理もされておらず、ろくに質疑応答も出来ない状況で開催された説明会に対して、一般従業員の反応は非常に冷ややかだった。

この様な状況を考慮すると、やはりアメリカに一人だけ存在する労働組合員(俺)への情報展開について、日本側できちんと話し合う時間はなかったと考えるのが自然だろう。大多数の従業員にすら満足に説明が出来ない状況で、たった一人のために配慮する余裕があるはずがない。

時刻は朝の9時50分。俺は10時からの幹部会に出席するため、役員室へ向かった。社長であるピーターが10時ピッタリに部屋に入ってくると、ジョンがいつもの調子で週次の挨拶から始め、その後販売の進捗状況説明に移った。ここまでは、全てが週次のルーティーンの一部だ。いつもの月曜日の、いつもの会議、そして、いつもの流れ、である。

しかし、ピーターがおもむろに手を振ってジョンに合図を送った瞬間、このルーティーンは突然終わりを告げた。いつもと異なる展開に異変を察知したジョンが、ピーターに発言権を与えた。ピーターはジョンに対してゆっくり頷くと、落ち着いた口調で話し始めた。

「実は日本から、週末に緊急の連絡があった。まだ詳細が不明な点も多いが、皆落ち着いて聞いて欲しい。」

ピーターはそう言うと、サンキ産業株式会社と帝国再生ファンドとの三社合併の説明を始めた。内容は事前に日本の一般従業員に通達されていたものと同水準の情報で、特に新規の情報は無かった。

彼はその後2分をかけて、三社合併の概要と各社の簡単な説明を行なった。説明後、ピーターは敢えて沈黙の時間を作り、他の幹部が質問する時間を与えた。

「ピーター、これは良いニュースじゃないか。サンキ産業はアメリカでは無名だが、グローバルで見れば我々とほぼ同シェアだ。二社が統合する事で規模が大きくなり、ブランドも強化される。そうすれば、もっと上位の競合他社と対抗出来る。ポジティブなニュースじゃないか。」

早速営業部長のジョニーが早口でコメントした。他の幹部も同調する様に頷いている。それを見て、ピーターも満足そうな表情を浮かべている。

俺はアメリカ人のポジティブさに脱帽した。ジョニーの言う事は確かに筋が通っている。規模が大きくなれば、今までこの業界で二流に甘んじていた日本重工は、グローバルでもトップ3の競合と競える様になる。

しかし、それはあくまで仕事とプライベートを切り離し、この会社を成長させる事だけにフォーカスした場合の話に過ぎない。三社合併により組織体制が変われば、当然人事面の待遇も変わる。

日本の従業員が恐れている様に、給与が下がったり、降格人事もあるかも知れない。正に下克上の会社運営が始まるのだ。将来が読めない中で、自分の生活を支える給与や福利厚生も危険にさらされる。

この様な状況にも関わらず、彼らの第一声は「合併はポジティブ」と言うのだ。アメリカ人は物事を肯定的に見るのは知っていたが、まさかこれ程までとは思わなかった。

一瞬の沈黙の後、普段は余り耳にする事のない声が役員室に響いた。声の主を確かめると、法務のオライリーが話している。

「非常にポジティブなニュースだが、サンキ産業は米国でも製品販売をしていると言ったね?であれば、合併に向けて法務的にかなりチャレンジングな状況になるのは間違いないよ。」

カルテルと価格戦略

「私がチャレンジングと言っているのは、販売価格の話だ。これはとてもセンシティブな議題だよ。」

今年で60歳になるオライリーは、長年企業法務の現場で活躍して来た人物で、日本重工のアメリカ法人には25年間勤めている。法務の知識も勿論だが、この会社の設立時の昔話をしたら、彼に敵うものはいない。彼は同僚からミスター日本重工と呼ばれ、慕われている。

「オライリー、その話について、もう少し詳しく聞かせてくれないか?何がセンシティブなんだい?」

ジョンがすかさず質問した。彼は自分の為と言うより、会議に参加する幹部全員の為に敢えて質問しているのだろう。

この辺りは、日頃からファシリテーターとして多くの会議を取り仕切っている癖が染み付いている。ジョンは根っからのファシリテーターだ。

オライリーは軽く咳払いした後、ゆっくりとした口調で説明を始めた。

「三社合併による新会社のブランド戦略が不明なので、あくまで仮定の話だが、仮に合併によってブランドを日本重工に統一するとしよう。サンキブランドは消滅し、日本重工ブランドに統合すると仮定する。すると、日本重工ブランドの製品価格を決めるのに、カルテルに抵触する可能性があるのだ。」

オライリーの質問に、すかさずジョンが質問をする。

「でも、オライリー。サンキブランドは消滅して、日本重工ブランドが残るんだろう?だったら、俺達は価格を再度決める必要なんて無いじゃないか。既に今販売している価格をそのまま使い続ければ良い話じゃないのか?」

ジョンの質問に、オライリーは少し笑顔を浮かべた。法律的な議論は彼の専門分野だ。自分の得意分野について説明するのが楽しいのだろう。

「いや、それは違う。仮にサンキブランドの製品が今現在、日本重工ブランドより大幅に安く販売されていたとしよう。新会社が急にサンキブランドを廃止して、価格の高い日本重工ブランド一本に絞ったら、サンキ産業の既存顧客は競合他社に取られてしまう。彼らは価格競争力に魅力を感じてサンキブランドを買った訳で、価格の高い日本重工ブランドを買う理由がない。しかしね、合併によって新会社がサンキ産業の既存顧客を引き継げないのでは、合併の意味が無い。合併は2社を統合し、互いのメリットを最大限に引き出す為に行うものだからね。」

オライリーはここまで説明して、ゆっくりと息継ぎをした。ジョンはオライリーの説明に対して、納得の表情を浮かべている。ミスター日本重工の知識は深い。

「従って、日本重工の製品価格も見直しの機会が必要だ。我々とサンキ産業、両社の既存顧客を上手く引き継げるような価格について、良く議論する必要がある。問題は、日本重工とサンキ産業は、合併する日までは別会社として扱われる点だよ。両社の従業員は、これから合併して同じ会社の仲間になると事前に分かっていながら、法的には別会社の人間とみなされる。」

オライリーはここで再び小休止して息継ぎをした。ミスター日本重工も年齢には勝てない。歳を重ねる毎に、彼の話すスピードは遅くなり、息継ぎの回数が多くなる。

「それがどんな問題を引き起こすんだい?」

ジョンが絶妙なタイミングで合いの手を入れた。役員室にいる誰もが、オライリーは話の核心に触れようとしている事を感じていた。

「別会社の人間として扱われると言う事は、両社の価格情報について、合併が成立するまで情報共有出来ないと言う事になる。何故なら、異なる二社が価格情報を共有したら、それはカルテルになるからね。」

カルテルとは、企業が消費者に不当な販売価格を押し付ける行為で、独占禁止法で禁止されている。例えば、テキサス州でホイールローダーを購入する場合、日本重工製かサンキ産業製かの、2択しか消費者に選択肢が無いとしよう。

二社は市場の自由競争原理に基づき日々価格競争を行い、その結果として消費者は競争力のある価格で製品を購入することが出来る。

ところが、仮に二社の営業担当者が価格について相談しあい、ホイールローダーを2万ドルで売ると協定を結んだらどうだろう?その場合、消費者が幾ら値引き交渉をしても、日本重工側も、サンキ産業側も、値引きには一切応じないはずだ。唯一の競合他社が製品を2万ドルで売ると知っている状況で、わざわざ自社の製品をそれより安い価格に値引く必要はないからである。

カルテルとは、この様に市場の価格競争原理を破壊する行為で、消費者に対して著しい不利益を与える。この為、法律でその行為は厳しく禁止されているのである。

「結論を言おう。我々とサンキ産業は、合併後のビジネスプランを練る為に、互いの販売価格に関する情報をすぐにでも共有する必要がある。しかし、我々は合併前の段階では別々の会社として扱われる為、二社が価格情報を共有した瞬間にカルテルが成立する。これは非常にセンシティブで悩ましい状況だよ。」

オライリーの的を射た説明を聞いて、役員室は静まり返った。彼の言葉には、経験に裏打ちされた重みがある。確かに、価格情報は非常にややこしい問題を生みそうだ。

役員室は引き続き静まり返っている。いざ合併のプロセスが始まれば、この様な法的な問題が続々と湧いてくるに違いない。誰も経験したことが無いM&Aを前に、日本重工アメリカ法人の幹部は黙り込んでしまった。

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K

共働きの妻と愛する子供を持つバイリンガルパパ(TOEIC950点、英検1級)。家事、育児、仕事と毎日忙しく奔走中。忙しすぎて風邪でダウンする事が時々ある。10年の海外営業経験を活かし、ブログでは英語学習のノウハウ、幼児英語教育(おうち英語)、海外営業の関する情報を提供しています!